日本国内でユネスコの世界遺産に登録されている資産を、文化遺産と自然遺産に分けて一覧でまとめます。
2024年9月時点の最新情報に基づくと、日本には合計26件(文化遺産21件、自然遺産5件)の世界遺産が登録されています。
文化遺産(21件)
法隆寺地域の仏教建造物:世界最古の木造建築が伝える日本の仏教文化(奈良県)



法隆寺地域の仏教建造物は、奈良県斑鳩町に位置する法隆寺と法起寺の建造物群から成り、1993年(平成5年)に日本の世界遺産として初めて登録されました。
これらの寺院は、世界最古の木造建築を多数擁しており、飛鳥時代から続く日本の仏教建築の歴史を今に伝える、極めて貴重な文化遺産です。
主な構成資産と価値
| 資産名 | 概要と評価されるポイント |
| 法隆寺(西院伽藍) | 金堂や五重塔などが現存する、中核となる区域です。特に、中国や朝鮮半島でも失われた、初期仏教建築の様式を世界で唯一残している点が国際的に高く評価されています。 |
| 法隆寺(東院伽藍) | 聖徳太子の冥福を祈るために8世紀前半に建立された区域で、中心となる夢殿が有名です。 |
| 法起寺 | 飛鳥時代の様式を継承する三重塔があり、これは日本に現存する三重塔の中で最古かつ最大級の規模を誇ります。 |
特徴と文化的意義
日本仏教の歴史と文化の象徴: これらの建造物は、聖徳太子の時代から連綿と続く日本の仏教信仰と、それによって育まれた建築技術、美術、文化の集大成を現代に伝えています。
世界最古の木造建築: 法隆寺の金堂、五重塔、法起寺の三重塔などは、1400年近く前の姿を保っており、木造建築の耐久性と技術の高さを証明しています。
仏教建築の変遷を示す生きた資料: 中国や朝鮮から伝来した仏教建築が、当時の日本でどのように取り入れられ、独自の和様へと発展していったかを知るための貴重な手がかりとなっています。
姫路城:「白鷺城」の異名を持つ、日本の城郭建築の最高傑作(兵庫県)

姫路城は、1993年(平成5年)に法隆寺地域の仏教建造物とともに、日本で初めてユネスコ世界文化遺産に登録されました。
別名「白鷺城(しらさぎじょう/はくろじょう)」と呼ばれるその姿は、シラサギが羽を広げたような優美な美しさを持ち、17世紀初頭の日本の城郭建築の最高傑作として世界的に評価されています。
世界遺産登録の主な理由と価値
| 評価された点 | 具体的な特徴 |
| 美的完成度 | 白漆喰総塗籠造り(しろしっくいそうぬりごめつくり)による真っ白な外観は、木造建築の粋を集めた優美な建築美を持ち、世界的にも類を見ない完成度を誇ります。 |
| 構造と防御の独創性 | 大天守と三つの小天守が渡櫓で連結された「連立式天守」という日本独自の複雑な構造を持ち、敵の侵入を防ぐための徹底的な防御(迷路のような通路など)が随所に凝らされています。 |
| 保存状態の優秀さ | 築城当時の天守だけでなく、櫓(やぐら)、門、土塀、石垣、堀といった城郭全体の構造が、奇跡的に良好な状態で保存されています。これは、日本の城郭の歴史と構造を最も完全に伝える貴重な資料となっています。 |
姫路城は、美しさと強固な防御機能が完璧に融合した、日本の文化と歴史を象徴する城です。
古都京都の文化財:千年の都が育んだ日本の美と伝統(京都府・滋賀県)



「古都京都の文化財」は、1994年(平成6年)に世界遺産に登録されました。これは、京都市と宇治市(京都府)、そして隣接する大津市(滋賀県)に点在する17の寺社・城から構成される複合遺産です。
西暦794年の平安京建都から約千年間にわたり日本の文化、政治、経済の中心地として栄えた京都の歴史と伝統の深さ、そしてその中で花開いた木造建築と庭園の芸術性の発展を示すものとして、世界的に評価されています。
評価のポイントと歴史的背景
- 日本の文化創造の舞台: 1868年まで日本の首都であり続けた京都は、日本の伝統文化や美意識を形作る上で決定的な役割を果たしました。
- 建築と庭園の最高峰: これらの資産は、日本の宗教建築(特に木造建築)の変遷を示す貴重な例であると同時に、世界に影響を与えた日本庭園の芸術的な発展の頂点を表しています。
- 歴史のレイヤー: 17の構成資産はそれぞれ異なる時代に造られていますが、全体として京都の長い歴史を層のように物語っており、都市の発展と文化の創造の軌跡をたどることができます。
主な構成資産(一部)
| エリア | 構成資産の例 |
| 京都市 | 清水寺、鹿苑寺(金閣寺)、二条城、東寺、上賀茂神社、下鴨神社など |
| 宇治市 | 平等院、宇治上神社 |
| 滋賀県(大津市) | 延暦寺(比叡山) |
この遺産群は、関係自治体によって包括的な保存管理計画が策定されており、千年以上にわたる日本の「美」の普遍的価値が確実に未来へ受け継がれています。
白川郷・五箇山の合掌造り集落:豪雪地帯に適応した「結」の文化遺産(岐阜県・富山県)


白川郷・五箇山の合掌造り集落は、岐阜県と富山県の山間部にまたがり、1995年(平成7年)にユネスコ世界文化遺産に登録されました。
この遺産は、世界でも稀な豪雪地帯という厳しい自然環境のなかで、独自の工夫を凝らした合掌造りの家屋と、それを支える伝統的な共同生活の文化が一体となって維持されている点が極めて高く評価されています。
登録された3つの集落
世界遺産として保護されているのは、合掌造りの景観が特に良好に残されている以下の3つの集落です。
- 白川郷: 荻町(おぎまち)集落(岐阜県大野郡白川村)
- 五箇山: 相倉(あいのくら)集落(富山県南砺市)
- 五箇山: 菅沼(すがぬま)集落(富山県南砺市)
合掌造り建築の秘密
合掌造りは、その名の通り、両手を合わせたような急勾配の茅葺き屋根を特徴とする民家の建築様式です。
| 特徴 | 機能・価値 |
| 急勾配の屋根 | 大量の雪が自然に滑り落ちやすくするための工夫であり、豪雪地帯での生活に適応した建築技術の結晶です。 |
| 広大な屋根裏 | 屋根の三角形の広い空間は、かつて養蚕(ようさん)や和紙漉きといった重要な生業の場として活用され、生活と産業を支えていました。 |
| 釘不使用の耐久性 | 建築に釘を一切使わず、縄やネソ(マンサクなどの木の枝)を用いて木材を緊結する伝統工法が用いられています。これにより、雪の重みや揺れに対するしなやかな耐久性を生み出しています。 |
伝統と相互扶助の文化
この遺産の真の価値は、建築物だけでなく、それを維持してきた集落の伝統的な生活文化にあります。
環境と共生: 合掌造りの家屋群が、周囲の深い山林と一体となって、日本の古い山村の景観を完璧な形で今に残しています。
「結(ゆい)」の精神: 巨大な茅葺き屋根の葺き替え作業は、家族や個人だけでは不可能です。集落の住民が総出で協力し合う相互扶助の仕組み「結」によって、集落の景観と技術が現代まで受け継がれています。
原爆ドーム:核兵器の惨禍と恒久平和の願いを伝える人類共通の遺産(広島県)

原爆ドームは、1996年(平成8年)12月7日にユネスコ世界文化遺産に登録されました。この建物は、人類史上初めて使用された核兵器の恐ろしさを今に伝える、「人類共通の平和記念碑」としてその価値が認められています。
世界遺産登録の理由とメッセージ
原爆ドームが世界遺産として選ばれた理由は、その存在自体が時代を超えた強力なメッセージとなっているからです。
- 核兵器の廃絶を訴える象徴: 原子爆弾による甚大な被害を最も如実に伝える建造物として、核兵器の廃絶と世界の恒久平和の大切さを世界の人々に訴え続けています。
- 平和への願いの象徴: 被爆当時の姿を奇跡的にとどめ、悲劇を乗り越えて「二度と過ちを繰り返さない」という人類共通の平和への願いを象徴しています。
歴史的背景
原爆ドームはもともと、1915年(大正4年)に「広島県産業奨励館」として建設された、近代的なヨーロッパ風の建物でした。
しかし、1945年(昭和20年)8月6日、原子爆弾が投下された際、爆心地から極めて近い場所にありながら、中心部のドーム状の鉄骨部分などが奇跡的に倒壊を免れました。
その後、その姿が戦禍を物語る被爆遺構として保存されることが決定され、市民の間で自然発生的に「原爆ドーム」と呼ばれるようになり、現在の平和記念公園の中心的な存在となっています。
厳島神社:海に浮かぶ社殿と自然が織りなす唯一無二の景観(広島県)

厳島神社は、1996年(平成8年)に世界文化遺産に登録されました。瀬戸内海に浮かぶ宮島(厳島)を舞台に、海を境内として設計された特異な建築様式と、背後の自然が見事に調和した景観が、世界的に高く評価されています。
世界遺産登録の核心的な理由
厳島神社は、単なる歴史的建造物ではなく、「神の島」の自然と一体化した独自の宗教空間である点が評価されました。
| 評価ポイント | 詳細 |
| 自然と人工物の融合 | 島全体が御神体とされ、海上に社殿を建てるという他に類を見ない発想が特徴です。潮の満ち引きによって景観がダイナミックに変化するさまは、自然と人工美が融合した傑作とされています。 |
| 特異な建築様式 | 社殿は、平安時代の貴族の邸宅様式である寝殿造りを神社建築に応用しており、その壮麗な様式は、日本人の独自の宗教観と景観美を理解する上で極めて貴重です。 |
| 歴史的・文化的価値 | 古くから神聖な島として崇敬されてきた宮島の自然景観と一体となり、日本三景の一つに数えられる美しさを有しています。 |
平清盛が築いた美の原点
現在の壮麗な厳島神社の基礎は、平安時代末期に平清盛によって造営されました。清盛は厳島神社を厚く信仰し、その庇護のもとで社殿は現在の海上に立つ壮大な姿へと発展しました。
その後も、時代ごとの再建を経て、古い建築様式を忠実に継承することで、創建当時の華やかな美と構造を今日まで伝えています。
平清盛(たいらの きよもり)は、平安時代末期(12世紀)に、武士でありながら朝廷の最高権力者となり、平氏の全盛期を築いた武将・公卿です。それまで公家(貴族)が主導していた日本の政治において、武士として初めて太政大臣(だじょうだいじん)に就任し、後の鎌倉幕府に繋がる武家政権の基礎を築きました。
古都奈良の文化財:天平の華やぎと日本文化の原型を伝える八つの至宝(奈良県)



「古都奈良の文化財」は、1998年(平成10年)12月にユネスコ世界文化遺産に登録されました。日本の首都が奈良に置かれていた8世紀(奈良時代)の文化・宗教の発展を包括的に示す、以下の8つの資産で構成されています。
この遺産群は、古代日本の文化の原型、発達した木造建築技術、そして神道と仏教が融合した独自の宗教観を今に伝えている点が国際的に高く評価されています。
構成資産(8つの至宝)
| 区分 | 資産名 | 概要 |
| 寺社・建造物 | 東大寺、興福寺、春日大社、元興寺、薬師寺、唐招提寺 | 8世紀の華やかな天平文化を代表する仏教・神道の建造物群。 |
| 特別史跡・天然記念物 | 平城宮跡 | 8世紀の首都(平城京)の中枢であった宮殿の跡。地下に良好に保存されており、古代の宮都の全貌を伝える極めて貴重な考古学的遺跡です。 |
| 春日山原始林 | 春日大社の神域として古くから入山が禁止されてきたことで、8世紀の奈良の自然環境がそのまま残された貴重な原始林です。 |
登録の評価ポイントと文化的意義
宗教観と自然との結びつき: 仏教が国家的な規模で保護・発展するとともに、神道との融合が進んだ独自の宗教文化を示しています。特に春日山原始林の存在は、自然そのものを神と見なす日本の神道思想の特質を象徴しています。
日本文化のルーツ(天平文化): 710年の平城京遷都から約70年間、日本の首都として栄えた時代の政治・宗教・芸術の中心地であり、日本文化の基礎が形成された様子を今に伝えています。
古代の木造建築技術: 中国や朝鮮半島から伝わり、日本で独自に発展を遂げた高度な木造建築技術の粋が示されており、これらは後世の日本の建築に多大な影響を与えました。
日光の社寺:絢爛たる建築群と神聖な森が織りなす「文化的景観」(栃木県)



「日光の社寺」は、1999年(平成11年)12月にユネスコ世界文化遺産に登録されました。
これは、日光東照宮、日光二荒山神社、日光山輪王寺の二社一寺を中心とする103棟の建造物群と、それらを取り囲む神聖な自然環境が一体となって保護されている、「文化的景観」としての価値が評価されたものです。
構成資産と評価のポイント
日光の社寺の登録理由となっているのは、以下の三つの施設とそれらを取り巻く環境です。
- 日光東照宮(とうしょうぐう)
- 徳川家康を祀る神社。極彩色豊かで豪華絢爛な装飾が特徴であり、江戸時代初期の最高の建築・彫刻技術が凝縮された傑作として、日本の建築史に大きな影響を与えました。
- 日光二荒山神社(ふたらさんじんじゃ)
- 日光の山々(男体山など)を神体とする神社で、古くからの山岳信仰の中心地です。自然の力や神々との繋がりを伝える、宗教的な景観を守っています。
- 日光山輪王寺(りんのうじ)
- 日光の仏教文化の中心を担う寺院で、仏教と山岳信仰が融合した修験道の拠点として栄えました。
文化的景観としての価値
日光の社寺は、個々の建物の価値だけでなく、以下の点が高く評価されています。
歴史の証: 江戸幕府が開かれて以降、約300年間にわたり日本の政治と文化の中心であった東照宮を中心に、宗教建築の技術と様式が受け継がれてきた歴史的な証拠である点。
自然との調和: 杉並木や広大な原生林など、長い年月をかけて育まれた神聖な森が、人工的な建造物と一体となり、独特な宗教空間と景観美を形成している点。
琉球王国のグスク及び関連遺産群:アジアを結んだ海洋王国の遺産(沖縄県)



琉球王国のグスク及び関連遺産群は、2000年(平成12年)に世界文化遺産に登録されました。これは、15世紀から19世紀まで栄えた琉球王国の歴史、独自の文化、そして東アジア・東南アジアとの盛んな中継貿易の歴史を伝える9つの資産からなる遺産群です。
日本本土とは一線を画す独自の政治・文化・宗教のシステムを構築していたことが、国際的な評価の核となっています。
構成資産:王国の心臓部と聖地
この遺産群は、王国の軍事・政治の中心であった城(グスク)と、精神的な権威を示す聖地(御嶽)によって構成されています。
| 区分 | 主な資産 | 価値の要点 |
| グスク(城跡) | 首里城跡(王国の王宮)、今帰仁城跡、勝連城跡、座喜味城跡、中城城跡 | 政治・軍事・外交の中心地として機能した代表的な城跡。 |
| 関連遺産 | 玉陵(たまうどぅん)、斎場御嶽(せいふぁうたき)、識名園(しきなえん)、園比屋武御嶽石門 | 王族の陵墓(玉陵)、王家最高の聖地(斎場御嶽)、王家の別邸(識名園)など、琉球の精神文化を支えた施設。 |
評価された琉球独自の価値
祭祀と政治の結びつき: 信仰の対象である自然や聖域(御嶽)を非常に重視し、政治と祭祀が密接に結びついていた琉球独自の宗教観を示しており、その精神的な側面も高い価値を認められています。
独自のグスク景観: 琉球の城であるグスクは、日本の城のような直線的な石垣ではなく、石積みの美しい曲線と自然の地形を巧みに利用した独特な構造を持ちます。これは、中国、日本、東南アジアの建築様式が見事に融合して誕生した、琉球独自の文化景観です。
繁栄を支えた中継貿易: かつて「万国津梁(世界中の架け橋)」と呼ばれたように、琉球王国は地理的な優位性を活かして、東アジアの中継貿易国家として繁栄しました。この遺産群は、当時の国際的な交流と、それによってもたらされた財力と文化の歴史的証拠を伝えています。
紀伊山地の霊場と参詣道:信仰の道が結ぶ神仏習合の聖地(三重県・奈良県・和歌山県)



「紀伊山地の霊場と参詣道」は、2004年(平成16年)7月にユネスコ世界文化遺産に登録されました。
三重県、奈良県、和歌山県の三県にまたがるこの遺産は、「参詣道(巡礼路)」が世界遺産として初めて登録された事例として知られています。深い自然に抱かれた三つの霊場と、それらを結ぶ古道(こどう)が、日本の宗教史における神仏習合の文化を現代に伝えています。
構成の二本柱:霊場と参詣道
この遺産は、信仰の中心地である「霊場」と、そこへ向かう「参詣道」が不可分な一体として構成されています。
| 構成要素 | 概要と信仰の特色 |
| 三つの霊場 | 1. 熊野三山: 熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社から成り、古くから庶民の信仰を集めた「よみがえりの地」。 2. 高野山: 弘法大師・空海が開いた真言密教の聖地。 3. 吉野・大峯: 日本独自の山岳信仰である修験道(しゅげんどう)の開祖とされる役行者が修行した聖地。 |
| 参詣道 | 熊野参詣道(熊野古道)、大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)、高野参詣道(高野山町石道)など。これらの道は、修験者から皇族・庶民まで、あらゆる人々が信仰のために歩いた歴史的な巡礼路です。 |
評価された普遍的価値
自然との融和: 紀伊山地の壮大な自然そのものが信仰の対象であり、人々が歩いた「道」と「聖地」が自然の力によって守られてきた、日本人の自然観を示す貴重な事例です。
神仏習合文化の証: 神道と仏教が融合した日本独自の信仰文化が育まれ、その歴史と伝統が1200年以上にわたり途切れることなく息づいている点。
景観の保存状態: 信仰のための霊場と参詣道の景観が、生活文化と密接に関わりながら、極めて良好な状態で保存されています。特に、これほど広範囲かつ良好な状態で残る参詣道は、世界的にも類を見ないと評価されました。
石見銀山遺跡とその文化的景観:環境に配慮した鉱山経営の歴史(島根県)



石見銀山遺跡とその文化的景観は、2007年(平成19年)にユネスコ世界文化遺産に登録されました。
島根県大田市に位置するこの遺産は、16世紀から17世紀にかけて最盛期を迎え、世界的な銀の流通に大きな影響を与えた鉱山跡です。単なる鉱山跡ではなく、「環境への影響を最小限に抑えながら、持続可能な鉱山経営を行っていた」という、世界でも稀な文化的景観であることが高く評価されました。
登録の主な価値
| 評価された点 | 詳細 |
| 世界史における重要性 | 16世紀には、世界の産銀量の約3分の1を日本が占め、その多くが石見銀山産でした。ここで採掘された銀は、東アジアやヨーロッパとの交易における国際的な主要通貨として流通し、当時の世界経済に大きな影響を与えました。 |
| 技術と景観 | 鉱山、製錬所跡、鉱山町、そして銀を積み出した港湾(鞆ヶ浦、温泉津)を結ぶ輸送路(銀山街道)*が、一連の産業遺産群として良好に保存されています。 |
| 環境との調和 | 他の多くの鉱山遺跡が環境破壊を伴うのに対し、石見銀山は森林伐採を抑制するなど、自然環境の保全に配慮した採掘方法や経営がとられていました。そのため、銀山跡地は豊かな自然が回復しており、これは世界でも特筆すべき点です。 |
構成資産(文化的景観を構成するもの)
港と集落: 鞆ヶ浦(ともがうら)、温泉津(ゆのつ)など、銀の積み出しや管理が行われた港湾集落。
銀山柵内(ぎんざんさくのうち): 鉱山と代官所跡、そして無数の間歩(まぶ:採掘坑道)が集中する中心地。
輸送路: 銀山と港を結ぶ街道。
平泉:現世に再現された黄金の「仏国土(浄土)」(岩手県)
平泉は、2011年(平成23年)にユネスコ世界文化遺産に登録されました。岩手県平泉町に位置するこの資産群は、11世紀から12世紀にかけて、地方の有力者であった奥州藤原氏によって築かれた、仏教の理想郷「浄土」を現世に表現しようとした極めて独創的な「文化的景観」です。
平安時代末期、戦乱の世の果てに平和への願いを込めて築かれたこの景観は、他に類を見ない普遍的な価値を持つと評価されています。
登録の核心:浄土思想と独自文化の融合
| 価値の要点 | 詳細 |
| 現世の浄土表現 | 阿弥陀信仰(浄土思想)に基づき、極楽浄土の様子を建築や庭園によって地上に具現化しようとした稀有な事例です。 |
| 辺境の華麗な文化 | 東北の地(辺境)でありながら、京都の中央文化、大陸の技術、さらには蝦夷の文化をも取り込み、独自の華やかで高度な黄金文化を創造した歴史的証拠です。 |
| 良好な景観保存 | 創建当時の壮大な伽藍(がらん)配置や、仏堂の跡、庭園の様子が、周辺の自然と一体となった「文化的景観」として、極めて良好な状態で保存されています。 |
主な構成資産
| 資産名 | 概要と文化的意義 |
| 中尊寺(ちゅうそんじ) | 初代・清衡が建立。特に金色堂は、内外に金箔が施され、当時の建築・工芸技術の粋を集めた、浄土を具体的に表現した仏堂です。 |
| 毛越寺(もうつうじ) | 大泉が池を中心とする広大な浄土庭園が有名です。池や島の配置は平安時代の庭園技術の最高水準を示しており、往時の仏堂跡が池のほとりに残ります。 |
| 観自在王院跡 | 二代・基衡の妻が建立した寺院跡。毛越寺と向かい合う配置で、二棟の阿弥陀堂と壮麗な浄土庭園の跡が確認されています。 |
| 無量光院跡 | 三代・秀衡が建立。京都の平等院鳳凰堂を模して造営されました。背後の山々を庭園の一部として取り込む借景の手法により、壮大な極楽浄土の景観を表現しました。 |
| 金鶏山(きんけいざん) | 平泉の中心をなし、経典を埋納したとされる神聖な山。都市計画の基準点としての役割も果たしていたと考えられています。 |
富士山-信仰の対象と芸術の源泉-:日本人の精神的支柱となった霊峰(山梨県・静岡県)
富士山-信仰の対象と芸術の源泉-は、2013年(平成25年)にユネスコ世界文化遺産に登録されました。
この世界遺産は、単に山梨県と静岡県にまたがる富士山の美しい山体そのものだけを指すのではなく、古代から日本人の精神的な拠り所となり、芸術や文化に無限のインスピレーションを与えてきたという、文化的・精神的な価値を評価されたものです。
登録の核心:二つの文化的側面
富士山の世界遺産としての価値は、自然の造形美を背景にした「信仰」と「芸術」という二つの側面によって成り立っています。
| 評価された点 | 詳細 |
| 信仰の対象 | 活火山としての畏怖から、やがて修験道(山岳信仰)の霊場へと変遷しました。富士山本宮浅間大社などの神社、山頂の遺跡、溶岩樹型といった構成資産は、富士山を神聖な山として崇め、登拝を繰り返してきた信仰の歴史を物語っています。 |
| 芸術の源泉 | 完璧な円錐形の雄大な姿は、葛飾北斎の『富嶽三十六景』や歌川広重らの浮世絵を通じて、世界に「日本」を象徴するイメージとして広まりました。日本の美術、文学、そして広く文化全体に与えた創造的な影響は計り知れません。 |
主な構成資産(信仰と景観の遺産)
世界遺産は、山体を取り巻く25の資産から構成されており、これらは富士山への信仰や景観美をテーマとしています。
吉田口・須走口などの登山道:江戸時代以降、信仰のために多くの人々が踏破した、山への思いが刻まれた道。
富士山本宮浅間大社:富士山信仰の中心的な存在で、全国約1,300の浅間神社の総本宮。
富士山頂の信仰遺跡群:噴火口や剣ヶ峰(最高峰)など、古くから修験者が修行を行った聖域。
忍野八海(おしのはっかい):富士山の伏流水が湧き出す霊水で、修験者や巡礼者の水垢離(みずごり)の場。
三保松原(みほのまつばら):富士山を背景に描かれた多くの芸術作品の主題であり、羽衣伝説の舞台ともなった景勝地。
富岡製糸場と絹産業遺産群:日本の近代化を支えた技術革新の証(群馬県)
富岡製糸場と絹産業遺産群は、2014年(平成26年)にユネスコ世界文化遺産に登録されました。群馬県に位置するこの4つの資産は、19世紀後半の明治時代に、日本の近代化を経済面から支えた「絹産業」の発展を証明する、極めて重要な産業遺産群です。
西洋の最新技術と日本の伝統を融合させ、生糸の大量生産と技術革新を成し遂げ、世界の絹産業に決定的な影響を与えた点が国際的に評価されています。
登録の核となる普遍的価値
この遺産群は、絹産業の全工程(養蚕から製糸まで)を網羅し、世界史における技術交流の重要性を示しています。
| 評価された点 | 詳細 |
| 技術革新と国際貢献 | フランスの製糸技術を導入しつつ、日本の優れた養蚕技術と融合させました。この「富岡式」の技術は、生糸の品質向上と大規模な大量生産を可能にし、日本全国、さらには世界の製糸業近代化のモデルとなりました。 |
| 絹産業の総合的な証明 | 蚕を育てる(養蚕)、生糸を紡ぐ(製糸)、そしてそれらを支える研究と保存という、絹産業の主要なプロセスを担った施設群が一体となって、良好に保存されている稀有な事例です。 |
| 近代化の象徴 | 創業当時の姿をとどめる煉瓦造りの巨大な工場建築(富岡製糸場)は、和洋折衷の独自の建築様式であり、日本の急速な産業革命と近代国家への歩みを象徴する歴史的な景観です。 |
絹産業の全工程を支えた4つの構成資産
世界遺産を構成する4資産は、それぞれ絹生産の異なる役割を果たしました。
荒船風穴(あらふねふうけつ): 夏場でも涼しい天然の冷気を利用して蚕の卵(蚕種)を貯蔵した施設。これにより、蚕を年に何度も飼育する「多回育」が可能になり、生糸の増産に決定的に貢献しました。
富岡製糸場: 1872年(明治5年)設立の日本初の官営模範製糸工場。大規模な工場制による生糸生産を確立し、技術普及の拠点となりました。
田島弥平旧宅: 近代的な養蚕法である「清涼育(せいりょういく)」を確立した指導者の旧宅。
高山社跡: 蚕の飼育に最適な環境を作る「清温育(せいおんいく)」を開発し、その技術を全国の農家に教えた養蚕教育機関の跡。
明治日本の産業革命遺産:非西洋圏初の工業化を成し遂げた軌跡(8県)
明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業は、2015年(平成27年)にユネスコ世界文化遺産に登録されました。
この遺産群は、日本の幕末から明治時代にかけて(1850年代~1910年頃)、日本が非西洋圏で初めて、わずか50年あまりという短期間で近代工業化を成し遂げた軌跡を示す、23の構成資産(8県に点在)から成ります。特に、近代国家に不可欠な重工業(製鉄・製鋼、造船、石炭産業)の発展を包括的に証明している点が世界的に評価されています。
登録の核となる普遍的価値
この遺産群は、西洋技術の単なる模倣ではなく、独自の技術適応とシステム構築により、世界史に影響を与えた成功例です。
| 評価された点 | 詳細 |
| 非西洋圏の革命的工業化 | 欧米からの技術を迅速に取り入れ、日本の社会に合わせて改良・適応させることで、アジアで唯一、そして非西洋圏で最初の産業革命を成功させた歴史的証拠です。 |
| 産業システムの連続性 | 製鉄・製鋼、造船、石炭採掘という、当時の近代化を支えた重工業の全プロセスが、一連のシステムとして残されています。これにより、日本の近代工業化の始まりから完成までの過程をたどることができます。 |
| 独自の技術適応 | 遺産群は、藩営(薩摩藩の旧集成館など)による初期の試みから、国営(官営八幡製鐵所など)による大規模な展開に至るまで、技術の吸収と独自進化の過程を具体的に示しています。 |
多様な構成資産(地域と産業)
この遺産群は、南は鹿児島から北は岩手にまで及び、初期の技術導入から本格的な工業化までの多様な局面をカバーしています。
| 地域名と構成資産の例 | 所在地(県) | 産業分野の役割 |
| 長崎 | 長崎県 | 造船・石炭の中心地。端島炭坑(軍艦島)や三菱長崎造船所など、日本の近代造船とエネルギー供給を担った拠点。 |
| 八幡 | 福岡県 | 鉄鋼業の心臓部。官営八幡製鐵所の関連施設など、日本の鉄鋼生産を牽引。 |
| 萩・鹿児島 | 山口県、鹿児島県 | 技術導入の初期。萩反射炉(山口)や旧集成館(鹿児島)など、江戸時代末期に西洋技術を学ぼうとした先駆的な取り組みの跡。 |
| 三池 | 福岡県・熊本県 | エネルギー供給。三池炭鉱(万田坑など)と関連施設。 |
| 釜石 | 岩手県 | 製鉄の源流。橋野鉄鉱山・高炉跡。日本で現存する最古の洋式高炉の跡地。 |
ル・コルビュジエの建築作品:近代建築の革命を世界に広めた遺産(7カ国共同)
「ル・コルビュジエの建築作品-近代建築運動への顕著な貢献-」は、2016年(平成28年)にユネスコ世界文化遺産に登録されました。
これは、20世紀を代表する建築家ル・コルビュジエ(Le Corbusier)の設計による17の作品群で、日本(国立西洋美術館)、フランス、スイス、インドなど世界7カ国にまたがる「国境を越える資産(トランスナショナル・サイト)」として非常にユニークな遺産です。彼の革新的な近代建築の理念が、世界規模で普及し、人類の建築史に決定的な影響を与えたことが評価されました。
登録の核となる普遍的価値
ル・コルビュジエは、従来の装飾的な建築を一新し、鉄筋コンクリートなどの新素材を使って、現代の生活に適した機能的な建築を提唱しました。
| 評価された点 | 詳細 |
| 近代建築の確立 | 伝統的な様式を打破し、新しい技術と素材に基づいた20世紀の新しい建築デザインのあり方を確立しました。 |
| 国際的な伝播と影響 | 彼の建築理論は、ヨーロッパに留まらず、アジア(日本)や南米(アルゼンチン)など、異なる地域と文化を越えて広がり、世界的な近代建築運動の核となりました。 |
| 革新的な建築原則 | 「近代建築の五原則」(ピロティ、屋上庭園、自由な平面、横長の窓など)といった革新的なアイデアが、個々の建築物を通して具体的に示されています。 |
日本の構成資産:国立西洋美術館(東京)設計年: 1959年
日本の構成資産として登録されたのは、東京都上野公園にある国立西洋美術館です。
価値: この美術館は、ル・コルビュジエが提唱した、将来の展示拡張に備え、中心部(コア)を変えずに外側に無限に増築していけるという「無限成長美術館」の理念を具現化したものです。この建物は、ル・コルビュジエがアジアで唯一実現させた建築であり、近代建築理論が国際的に波及したことを証明する重要な存在です。
「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群:古代祭祀の歴史と禁忌を伝える海の聖地(福岡県)
「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群は、2017年(平成29年)にユネスコ世界文化遺産に登録されました。福岡県宗像市に位置するこの遺産は、九州と大陸を結ぶ海上交通の要衝であり、4世紀から9世紀にかけて国家的な規模で執り行われた海洋祭祀の歴史を、他に類を見ない形で伝える資産群です。
この遺産の核は、今なお島全体が禁忌(きんき)として保護され、女人禁制などの厳しい伝統が守られている沖ノ島の存在です。
登録の普遍的価値:国際性と信仰の証
宗像・沖ノ島の価値は、古代日本の国際的な役割と、信仰が現代にまで連綿と続いている点にあります。
| 評価された点 | 詳細 |
| 海の正倉院・沖ノ島 | 沖ノ島は、現在も宗像大社の御神体として扱われ、島内での一切の行為が禁じられている「神宿る島」です。約500年間にわたる祭祀によって奉献された約8万点もの遺物が、当時のまま地中に残されていることから「海の正倉院」と称されています。 |
| 古代の国際交流拠点 | 沖ノ島から出土した奉献品には、日本だけでなく朝鮮半島、ペルシャ、ローマ帝国などからもたらされた黄金製の指輪や鏡、ガラス器などが含まれています。これは、当時の宗像地域が東アジアの国際海上交易における重要な結節点であったことを示す揺るぎない証拠です。 |
| 祭祀形態の変遷 | 岩の上で簡素に行われていた初期の祭祀が、時代とともに社殿を設けて行う儀式へと変化していった、信仰の具体的な発展過程を遺構と遺物から明確にたどることができます。 |
主な構成資産:三宮と遥拝の拠点
世界遺産は、沖ノ島の祭祀遺跡を核として、それらを管理・遥拝(遠くから拝むこと)した施設群で構成されています。
新原・奴山古墳群(しんばる・ぬやまこふんぐん): 沖ノ島の祭祀を代々担ってきた宗像氏の有力者の墓群と考えられています。
沖ノ島(おきのしま): 宗像大社沖津宮が鎮座する、島全体が神域の禁忌の島。
宗像大社: 沖ノ島の沖津宮、大島の中津宮(なかつぐう)、本土の辺津宮(へつぐう)の三社で構成。本土から沖ノ島を遥拝し、古代の海上祭祀を担った宗像氏の中心地でした。
長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産:信仰を秘匿し続けた250年の歴史(長崎県・熊本県)
「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」は、2018年(平成30年)にユネスコ世界文化遺産に登録されました。長崎県と熊本県(天草地方)に点在する12の資産で構成されるこの遺産群は、江戸時代の厳しい禁教下(17世紀〜19世紀)において、約250年間密かにキリスト教信仰を守り続けた「潜伏キリシタン」たちの他に類を見ない文化的伝統と景観を証明するものです。
この遺産は、信仰の自由が抑圧された時代における人類の精神的な営みを伝える、世界的に貴重な証拠です。
登録の核となる普遍的価値:秘匿と融合の文化
潜伏キリシタンは、宣教師や教会が存在しない状況で、日本の伝統文化と融合することで信仰を存続させるという、独自の文化的知恵を発揮しました。
| 評価された点 | 詳細 |
| 信仰の継続 | 17世紀の島原・天草一揆以降、キリシタンたちは公に信仰を捨てたかのように振る舞い、仏教や神道の儀礼に擬態しながら、家庭内や集落の閉鎖的な空間で、秘かに信仰を継承しました。 |
| 独自の伝統と景観の創造 | 聖母マリアを日本の仏像と見紛う「マリア観音」として拝むなど、伝統的な日本の慣習や宗教的要素を取り入れ、独自の典礼や教義、礼拝形態を確立。これにより、集落や島の景観に、信仰と文化が融合したユニークな色彩を与えました。 |
| 「信徒発見」と解禁 | 19世紀の開国後、長崎の大浦天主堂で宣教師と潜伏キリシタンが劇的に出会った「信徒発見」から、最終的な禁教の高札撤廃に至るまでの歴史的な過程を、資産群が一連の物語として伝えています。 |
主な構成資産:集落・聖地・終焉の地
遺産群は、信仰が潜伏した集落、信仰を守るための聖地、そして歴史の転換点となった場所を含みます。
| 資産の例 | 所在地(地域) | 価値と役割 |
| 原城跡 | 長崎県(島原半島) | 禁教の決定的な契機となった島原・天草一揆の終焉の地であり、公的なキリシタンの歴史が終わった転換点を示す。 |
| 天草の崎津集落 | 熊本県(天草) | 漁村の生活に完全に溶け込みながら、信仰を密かに継承し続けた集落。解禁後に建てられた崎津天主堂が、集落の象徴として独特な景観を形成。 |
| 平戸の聖地と集落 | 長崎県(平戸市) | 春日集落や、潜伏キリシタンの聖地である中江ノ島など。海を隔てて聖地を拝む「お籠り」の儀式など、独自の信仰形態が残る。 |
| 外海(そとめ)の出津集落・大野集落 | 長崎県(長崎市) | 長崎市北西部の厳しい自然環境の中で、貧しい生活を送りながら信仰を守り続けた潜伏集落。 |
| 大浦天主堂 | 長崎県(長崎市) | 「信徒発見」という奇跡的な出来事の舞台となり、潜伏キリシタンの存在を世界に知らしめた教会。 |
百舌鳥・古市古墳群:古代ヤマト王権の権力を示す世界最大級の墳墓(大阪府)
百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群は、2019年(令和元年)にユネスコ世界文化遺産に登録されました。大阪府の堺市、羽曳野市、藤井寺市にまたがるこの遺産群は、3世紀後半から6世紀にかけて、古代日本の統治者たちによって築かれた巨大な墳墓(古墳)の集まりです。
特に、前方後円墳(特徴的な「鍵穴の形」)が集中している点が特徴であり、ヤマト王権が日本を統一し、その権力を確立・発展させていった歴史と、当時の高度な土木技術を証明する、極めて重要な考古学的景観として高く評価されています。
登録の普遍的価値:規模と政治的変遷の証
百舌鳥・古市古墳群は、単なる墓地ではなく、古代日本の国家形成期における政治構造と文化の変遷を伝える歴史書のような役割を果たしています。
| 評価された点 | 詳細 |
| 世界最大級のスケール | 仁徳天皇陵古墳(大山古墳)をはじめとする巨大古墳は、全長が数百メートルに及び、エジプトのピラミッドや秦の始皇帝陵にも匹敵する規模です。これは、当時の日本の統治者が有した強大な権力と動員能力を世界に示すものです。 |
| 王権の中心地の変遷 | 古墳の形状や規模が、初期の前方後円墳から時代と共に変化する様子がこの地域で確認できます。これは、大和(奈良)から河内(大阪)へと政治的中心地が移動し、王権のあり方が変化していった古代史の動向を物語っています。 |
| 固有の文化的景観 | 濠(ほり)を幾重にも巡らせた独特の「鍵穴」形状の墳墓が、周囲の自然や集落の中に散在する景観は、古代日本の墳墓文化がもたらした固有かつ壮大な文化的景観を形成しています。 |
主な構成資産(代表的な古墳)
遺産群は49基の古墳で構成され、特に以下の3基は、その規模から当時の最高権力者の墓と考えられています。
全長約365メートル。仁徳天皇陵古墳に次ぐ規模を持ち、百舌鳥古墳群の形成期における重要性を示しています。
仁徳天皇陵古墳(大山古墳)
全長約486メートル。世界最大の墓の一つとされ、百舌鳥古墳群の盟主です。
応神天皇陵古墳
全長約425メートル。古市古墳群の盟主として、百舌鳥古墳群と並ぶ王権の中心地であったことを示します。
北海道・北東北の縄文遺跡群:農耕なしに文化を開花させた先史の叡智(4道県)
「北海道・北東北の縄文遺跡群」は、2021年(令和3年)にユネスコ世界文化遺産に登録されました。北海道、青森県、岩手県、秋田県の4道県にまたがる17の遺跡から成り、縄文時代(紀元前1万3000年〜紀元前400年頃)の人類史における独自の発展を証明するものです。
この遺跡群は、食料生産(農耕)を伴わない狩猟・採集・漁労を基盤としながら、約1万年もの極めて長期間にわたり、安定した定住生活と高度な精神文化を発達させた、世界でも稀な文化的景観として評価されました。
登録の核となる普遍的価値
縄文遺跡群は、環境破壊をせず自然と共生しながら、複雑な社会を築き上げた先史時代の知恵を伝える歴史的な証拠です。
| 評価された点 | 詳細 |
| 長期定住の独自性 | 世界史において、農耕が定住を促したのに対し、縄文人は豊かな自然資源を巧みに利用することで、大規模な集落や恒久的な竪穴住居を築き、約1万年という驚異的な期間にわたり安定した生活を継続しました。 |
| 高度な精神文化の証明 | 安定した定住を背景に、土偶や大規模な環状列石(ストーンサークル)などの祭祀遺構が発達しました。これらは、縄文人が自然界や祖先に対して抱いていた複雑で体系化された精神世界や儀礼が存在したことを示します。 |
| 持続可能な自然共生 | 遺跡の規模と周辺環境から、縄文人がクリ、クルミ、海の幸などの季節の恵みを計画的に採取し、自然環境を枯渇させることなく持続可能な生活を営んでいたことが証明されています。 |
主な構成資産:縄文人の生活と精神を伝える遺跡
遺産群には、生活の場である集落跡、そして死者を弔い祭祀を行った墓域・儀礼の場が含まれています。
| 資産の例 | 所在地(県) | 価値と役割 |
| 三内丸山遺跡 | 青森県 | 約1500年間存続した、縄文時代中期の国内最大級の集落跡。多数の住居跡や、巨大な掘立柱建物跡が残る。 |
| 大湯環状列石 | 秋田県 | 墓地を伴う大規模なストーンサークル(環状列石)。縄文時代の高度な祭祀・儀礼の場であり、宇宙観や死生観を示す。 |
| 垣ノ島遺跡 | 北海道 | 日本最古級の漆製品が出土しており、長期的な定住と発達した工芸・精神文化を示す。 |
| 御所野遺跡 | 岩手県 | 湿地性の環境により保存状態が良好で、当時の竪穴住居跡や土器などが確認できる集落跡。 |
佐渡島の金山:手工業の技術が支えた世界最大級の金銀山(新潟県)
佐渡島の金山は、2024年(令和6年)にユネスコ世界文化遺産への登録が決定した(※諮問機関による「記載」勧告を受けています)、新潟県佐渡市に位置する産業遺産群です。
江戸時代から近代にかけて世界最大級の金銀産出量を誇ったこの金山は、西洋の機械化に頼るのではなく、日本独自の高度な手工業技術を長期間にわたり持続させた点に、世界的な価値が認められました。この遺産群は、採掘から製錬、そして鉱山集落の生活に至るまで、鉱山開発の全貌を良好に伝えています。
登録の核となる普遍的価値:伝統技術と共生の歴史
佐渡金山は、単に鉱石を掘り出す施設群ではなく、環境と技術を管理しながら持続可能な生産を追求した独自のシステムが評価されました。
| 評価された点 | 詳細 |
| 手工業的生産の持続 | 江戸時代(17世紀)に確立された手掘りや人力を基盤とする高度な採掘・製錬技術が、近代以降の機械化時代にも独自の改良を加えられながら、長期にわたり一貫して運用されました。これは、世界的にも稀有な技術史の事例です。 |
| 開発プロセスの包括性 | 遺産群は、金銀を採掘する間歩(まぶ:坑道)から、鉱石の輸送路、製錬所跡、そして鉱山支配の中心である奉行所や労働者の相川集落まで、鉱山開発とそれに伴う社会の全プロセスを網羅し、良好に保存しています。 |
| 資源の持続的管理 | 鉱山運営によって生じる環境負荷を抑えるため、森林の保護や植林といった資源管理が積極的に行われました。これは、当時の産業遺産としては珍しい、自然環境との調和を図った持続的な経営の証拠です。 |
主な構成資産:金山開発の歴史的展開
遺産群は、中世の砂金採集から近世の本格的な山金採掘へと発展した、歴史的経緯を示す資産で構成されます。
| 資産の例 | 価値と役割 |
| 西三川砂金山跡 | 佐渡金山が始まった中世の姿を伝える、砂金採集の遺跡。 |
| 相川金銀山 | 江戸時代以降の主要な採掘地。道遊の割戸(どうゆうのわりと)と呼ばれる巨大な採掘跡が象徴的で、坑道や選鉱場跡など、本格的な採掘・製錬技術の痕跡が集中しています。 |
| 相川金銀山関連の集落跡 | 鉱山を管理した佐渡奉行所跡や、鉱山労働者、技術者、支配層が暮らした集落跡。鉱山の社会構造と生活のあり方を物語っています。 |
自然遺産(5件)
| 資産名 | 所在地(主な都道府県) | 登録年 |
| 屋久島 | 鹿児島県 | 1993年(平成5年) |
| 白神山地 | 青森県、秋田県 | 1993年(平成5年) |
| 知床 | 北海道 | 2005年(平成17年) |
| 小笠原諸島 | 東京都 | 2011年(平成23年) |
| 奄美大島、徳之島、沖縄島北部及び西表島 | 鹿児島県、沖縄県 | 2021年(令和3年) |











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